【MyBestShot】タイトルなし

「京都人にとって、先の大戦は応仁の乱」…

私の住む京都にはそんなうわさがある。11年も続き町が廃墟になった応仁の乱に対し、大都市であったのに空襲の被害が少なかったことが、うわさが立つ理由だろう。しかし決して戦争と無縁だったわけではない。京都で「日本人ではない」というだけで犠牲になった、朝鮮人の若者がいたことを今回初めて知った。

尹 東柱(ユン ドンジュ)-韓国で最も愛されている詩人らしい。

彼は延世大学、立教大学を経て、同志社大学で学んでいた。学生時代には母国語のハングルで詩をよく書いていた。しかし、1943年7月に「朝鮮独立運動を扇動した」として、下鴨署の特高警察に逮捕されてしまう。その後福岡に移送され、2年後に祖国の地を踏むことなく獄中死した。

ソウル詩人協会のミン・ユンシク会長によると、尹東柱が京都にいた時の資料はほとんど見つかっていないという。日記など大半を特高警察に没収されたためだ。そのため同志社大時代に詩を書いていたのかなど、不明な点が多い。

長く京都に住んでいながら、韓国に行くまで全く知らなかった。京都は決して戦争と無縁の地ではない。それをひしひしと感じた。

4月から地元紙でジャーナリスト生活を始める私には、目標がある。それは戦後80年に、京都と戦争の連載を立てることだ。 

京都の空襲、原爆投下の第一目標だったこと、京都大学と731部隊に原爆研究、沖縄戦を戦った京都部隊(第32軍62師団)…その中で、言葉や文化だけではなく、未来や生きた軌跡までも奪われた若者(=尹東柱)がいたことを取り上げたい。過去を知ることで、未来への教訓を得ることができると思うからだ。まずは地元の人に、そして京都以外の人にも知ってもらいたい。

(南 真臣)

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