【MyBestShot】私は絶望しました

まず、73年前の8月6日に私は広島にいるとしたら、たった一瞬で物事すべて消え、世界壊滅による絶望を感じ取りました。

熱線、黒雨、放射線など多くの聞きなれない言葉一気に頭の中に突き込んできて、言葉すら理解も及ばずなのに、さらに当時の広島を想像してみたら、人間がどれほど人間らしくない扱いがされたのか、少しだけ分かることができました。

いわば、核兵器というものは、極端に地上にすべての命を残さずに奪うという残忍なものです。いかに戦争を起こしても、核兵器だけあってはならない存在だと理解しにくくありません。人間自分自身による作られた人間地獄、それさえ想像するだけに体が思わずに震え始め、あまりにも悲惨すぎで言葉も出てこないため、私は絶望しました。

そして、三日間の間に、広島式典や中国新聞前編集局長の答え、また中国新聞社説など確かめたすえ、被害者としてさんざん原爆の体験談を物語ったが、加害者として隣国にいくつ人間悲惨の地獄を実に作ったにもかかわらず、ましてや、日本はアメリカによる「核の傘」に守られているのに、まったく核廃絶の説得力がないともいえましょう。

このように肝心な問題点に触れずに、他国に核廃絶の意図を伝えぬまま、ただの泣き寝入りになってしまうかもしれない。それだけではなく、なぜ日本だけ核兵器に攻撃されたか、なぜ広島が攻撃されたのか、という本当の理由が見えなくなっていく気がします。

確かに、世界中の人々が真夏の中にわざわざ足を運んで広島にたどり、さまざまな平和を願うイベントを参加したが、戦後世代の中に、どれだけ当時の事情を詳しく知っているのでしょうか。「平和」は決して単なるスローガンではなく、二度と戦争を起こさないように、まずドえぐい戦争実像を触れないと、平和になかなかたどり着かないのでしょう。しかし、現状はまだまだ限界があるため、私は絶望しました。

最後に、さすがに日本軍による戦争責任をめぐってばかりに話をすると、私は徐々におかしくてうまく情緒をコントロールできない馬鹿者のように見なされ、皆さんもだんだん語りたくなくなり、無口となります。

戦後の東アジアにおける日中韓三ヶ国はそれぞれ教育方針にしたがって、自国の新世代に近代歴史を教えています。各自それぞれ歴史教育を行なっているゆえ、必ずある程度自国にとっての都合のいいことを取り上げられ、都合の悪いことを一言だけ薄めに書くかまったく書かずに真実を抹殺します。長い間、そのような歴史教育の中に成長してきた三ヶ国の若者たちは交流すれば交流するほど、お互いに認識がいかに違っていることに気づきます。

これは必ずしも若者たちのせいではなく、もしくは戦後直後世代によって残留された厄介な問題のではないでしょうか。そこで、日本の学生と交流するたびに、常識や認識がそれぞれで噛み合わないギャップがあるため、私は絶望しました。

心よりまことに申し訳ございませんでしたが、おそらく私はみんなに嫌われ、今回のフォーラムに参加もすべきではなければ、ここにいるべきでもないじゃないかと思いました。

核廃絶のため、私たちは何をすべきでしょうか、皆さんにお伺いさせていただきたいです。私はこれからも言わなければならないことを言おうと思っています。

(李贇)

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